四国最大の大河。不入山(1,336m)の東斜面に源を発し、主な支流35、支流総数318、四国西南地域を大きく蛇行しながら落差のない流れとなって、四万十市下田で太平洋に注ぎます。渡川水系の本流、一級河川です。
また豊富な自然に育まれたくさんの水生生物が見られ、それに関わる珍しい漁法なども現存しています。
 
 
 四万十市は高知県の西南部、幡多郡の「中央を流れる四万十川とその支流後川及び中筋川の流域に発達した、高知市、南国市につぐ高知県下第3の街で、西南地域の文化、経済、交通 の中心地として発達している町です。
中村は前関白一条教房が応仁2年(1468)応仁の乱を避けこの地へ下向してから、京都に擬して造られた町で、街並みも碁盤目状に広がり、祇園、京町、鴨川、東山など「土佐の小京都」と呼ばれています。一条氏は教房のあと房宗、房冬、房基、兼定とつづき、天正2年(1574)長宗我部元親によって豊後に追われるまで100年間栄えましたが、つづく長宗我部氏は慶長5年(1600)、中村山内氏も元禄2年(1689)に廃されました。しかも再三にわたる四万十川の氾濫と昭和21年の南海大地震は、この町から古い面 影を奪いつくし、不破八幡宮、太平寺、大文字山の送り火など、わずかに当時を偲ばせています。
 
 四万十川の下流域には、幡多地方の中心に位置し、経済文化の中核都市である四万十市があり、ここでは川は市街地をゆったりと南下して、はるばる太平洋へと注ぎこみます。
下流域には、観光屋形船やトンボ自然公園、佐田の沈下橋など、清流ならではの見どころがあり、伝統的な「川漁」などの風物にも恵まれています。
 
 日本最後の清流といわれる大河四万十川、長い道のりの間には、様々な四季の風景や、人々の暮らしと心、歴史があふれています。この川には海水と川水が混じる汽水域が約9kmあります。加持養鰻場がこの四万十川河口にあります。